ニートになって感じる罪悪感を認めたことで得られた自信について
みなさん、こんにちは。
自分のことを最近ニートと呼んでますが、
ニートってなんでしょうね。
ニート(イギリス英語: Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、就学・就労・職業訓練のいずれも行っていないことを意味する用語である。 日本では、15〜34歳までの非労働力人口のうち通学・家事を行っていない者を指しており、「若年無業者」と呼称している。
(wikiから)
家事はやってるよ!!!
今日は二品料理したよ!!!
でもニート同然の暮らしですね。
7月後半から地元に戻り、吐き気を抑えつつも、就活しながら、
でもうまく動けず、結局うまくいかない結果になり、
それにほっとしながらも、堕落しつつ、やっぱり自分で稼がねばという葛藤の中にいました。
就活すること自体に次第に嫌悪感を増して、親にどうだった?といわれるたびに、
おかしくなりつつある自分の弱さと曖昧さにずっと嫌悪感がありました。
親が働いているにもかかわらず、家で過ごすということがいかに罪悪感があるかおわかりでしょうか?(というかニートじゃない人のほうが見ていてイラつくかもしれませんね。現に自分がそうだったので)
でも私は一旦この罪悪感を認めたうえで、だらだらしようと決めました。
出来ない自分、ゼロな自分をとことん許してやろう!そんな自分でいいんだ!
って思うようにしました。
今蟻地獄のような負のスパイラルに自分がいる中で、無我夢中にもがいても、
そこからは這い上がれないどころか無駄に体力を消耗し、絶望するだけです。
私ができることは何か??
出られない状況の中で、時期を待ちながら自分の課題を整理し、それに向き合うということでした。
私が抱える課題は、主に内面的なものですが、そこを見つめて、
変えられないものに執着せず、変えられる、進展できる部分に焦点を当てて動いていくということです。
そうでありながらも、自分が今まで向いてなかった事柄にも向けていく。
もしかしたら全然思いもよらなかったお宝が見つかっちゃうかもしれません。
だからどうしようもない自分を許して、信じてあげる。
蟻地獄にいられる自分に自信を持ち、楽しむ。
そこからなんじゃないかと思う。
だからそんな自分をサポートしてくれる家族に感謝。
前は敵対して日本からも逃げていたけど、そのためにニートになったといっても
過言ではないくらい。。
ありがとう、ありがとう。
それじゃまた!